松井彰彦・文/完山清美・絵

『向こう岸の市場(アゴラ)』

 

あとがき

 

ソ連邦が瓦解して平和になるかと思った。多様な人々から成る民主国家アメリカが世界の盟主になれば、世の中は住みやすくなると思った。

 

そうかもしれません。あるいは、いつかそうなるかもしれません。

 

でも、ほんとうにそうでしょうか。

 

歴史はくり返しませんが、世の移り変わりについて、さまざまなことを教えてくれます。

 

紀元前5世紀初頭、ペルシャを撃退したアテネは、ギリシャ世界の尊敬を集め、盟主、そして経済の中心として富み栄えます。しかし、皮肉なことに、今のアメリカなど比べものにならないくらいの徹底した民主制を国内で確立した後、対外的には民主的な盟主から力で支配する帝国へと変容していきます。同盟国の自治に介入し、貢納金を集め、意に従わない国々を武力や経済力で締めつけていくのです。

 

一人勝ちのアテネは民主派のペリクレスの治下、分け前を移民に取られまいと純血政策を採ります。そのために市民になれなかった移民たち。その中に、主流から外れつつも、強い芳香を放った人物がいました。ペリクレスの「妻」アスパシアと「歴史の父」ヘロドトスです。その二人の許で、大人へと変わっていく少女と少年の目線で、この話を作りました。

 

物語は、「健全な利己心」が必要な市場経済から始まり、「健全な利他心」が必要な国家運営へと移ります。しかし、国家のことを慮(おもんばか)る「健全な利他心」が戦争をひきおこしてしまいます。

 

もちろんアテネ一国が「悪者」ではありません。物語に登場する島国サモスももとはといえば自国の利害から自国より弱い相手との紛争をひき起こしたわけですから。アテネの話は民主主義万歳とか、帝国主義くたばれ、といった単純な話ではないのです。

 

共同体(オイコス)のあり方(ノモス)を問うオイコノミコスと国家(ポリス)のあり方を問うポリティカ。ともに、ギリシャ時代の言葉です。オイコノミコスはその後、発展して経済秩序を問うエコノミクス(経済学)となり、ポリティカは国家の秩序を問うポリティクス(政治学)となりました。とくにエコノミクスは、その発展につれて、不十分ながらも何をやるべきか、何をやってはいけないか、ということを少しずつ明らかにしてきました。それに比して、国家間の秩序のあり方を問う学問はまだ整っていません。

 

学問は役に立たない、という人がいるかもしれません。しかし、学問がわれわれに与えてくれるものは、ものの見方です。ものの見方なしに物事を論じることはできません。乱暴なものの見方をすれば、ついてくるのは乱暴な結果です。

 

乱暴でいい加減なものの見方で国家間の秩序のあり方のような大きなことを論じると、ひとりひとりの幸せは川の流れの中の泡沫のように無視されてしまいます。大きなことを論じる学問であっても、小さなところへの目配りを忘れてはなりません。平和で活気のある社会は幸せで活動的な個人から成ること、逆に平和と活気が得られない社会に個人の幸せや活躍の場もないこと、これらのことを踏まえた学問がいま求められているのです。

 

次第にものの見方を学んでいく少女と少年の目線を保ちたかった理由もそのあたりにあります。同じ目線でみなさんが市場や国、そして国と国との関係について何かを感じとってくれたのならこれに優る幸いはありません。

 

2007年夏 著者