古代ギリシャ世界への旅 2005 (copyright Akihiko Matsui)

 

8日目

イルカの島の主人公ナミとナギのように、船でアテナイへの入り口ピレウスに向かう。昔とは異なり、数時間の旅ではあるが。途中、シロスに立ち寄った後、島影を見ながら大型の水中翼船は猛スピードで進む。

アテナイは博物館を見ただけでほぼ素通り。翌日からは大型のツアーバスでオリンピア、デルフィなどを回る。9,10日目は飛ばして11日目のデルフィの話をしよう。

 

11日目

 

神託の地デルフィ。ここからは、少し『イルカの島』の主人公ナギとナミの気持ちになって、神殿を辿ってみる。ここから「ですます」調に切り替えます。ご容赦を。

デロスが四方を海に囲まれ、空と海が果てしなく広がる開かれた聖地なら、デルフィは山に囲まれ、その向うに神々の存在を感じさせる霊地です。そそり立つパルナッソスの山の中腹に数スタディオンにわたる断崖絶壁が2段になって見えます。その2段になった断崖の間、猫の額ほどの土地にアポロンの神殿がそびえ立っておりました。

参道を上がっていくと、古今東西、商人にかなう者なしで、土産物屋が軒を連ねています。売り子たちのけたたましい声から逃れるように神域に入ります。両側にはデルフィでより良い神託を得ようと各国が寄進した宝物が目に入ってきます。等身大の銀製の牛の像やアポロとアテナイの将軍の銅製の像などが所狭しと並んでいます。中でも豪華なのはシフノス人の宝物殿です。かれらは金鉱によって潤っていましたから毎年収入の一割をアポロンに寄進しているのでした。

聖なる道をさらに登っていくと、ドーリス式の大理石の建物が目に入ってきます。ギリシャの最強国アテナイの宝物殿です。ブーレタイオン、すなわち議事堂を過ぎ、少し上るとついに着きました。アポロンの神殿です。二大聖地の一つ、デロスからはるばるやってきた同格の神官とあって、ナミたち一行はデルフィの神官たちに丁重に迎えられます。神殿の中に招き入れられると、たとえ強国アテナイの国使であっても一般の信者には決して見せない巫女ピューティアの間まで見せてくれます。デルフィの神官が説明します。

「巫女はカスタリアの泉で身を浄めた後、月桂樹の冠をいただき、神殿に来て、ここに座るのです。そして霊気を吸って恍惚状態となり、お告げを口走るのです。もっとも、実際には、巫女ピューティアの意味不明の音声や動作をわれわれ神官が解釈し、詩の形で参拝者に伝えるのですがね。そうそう、つぎの神託がそろそろ下されます。見学していきますか?」

表には合い争っている二つのポリスの使者たちが来ています。お互いによりよい神託を得ようとたくさんの寄進をしたようです。神官たちは巫女のうわ言を聞き、その解釈を論じはじめます。議長らしき神官が言います。

「この事例では、どちらの主張も大して変らない。要は両ポリスの間に広がる一帯の耕作物の取り分をめぐっての争いであろう。こんなことは神託を仰ぐまでもなく、当事者で解決すればよいものを。で、お互いの主張は何かな?」

両国の使者から直接話を聞いた神官が答えます。

「大きなポリスは自分の所有権を主張し、小さなポリスのほうは、耕作地は半々に分けるべきだと主張しています。」

しばらく考えていた議長が言います。

「うむ。では、耕作地の配分を決めればいいわけだな。両者とも同じ文面でよいであろう。大きなポリスのほうがヘラで、小さなポリスのほうがレトを祀っているな。では、この辺りが適当であろう」

と言ってつぎのような作文をしました。

 

土地はより高き神に捧げ

恵みは神の子に等しく分けよ

神々は満ち足りてアレスは天上に帰らん

 

これを聞くと、その解釈を巡って二つのポリスの使者たちはしばらく議論を続けていましたが、結局、ヘラを祀っているポリスがその土地の中心部を領有し、その近辺の耕作物はヘラとレトの子供の数により4対2、つまり2対1の割合で分けることで合意に達し、争いを止めました。

 

  

 

デルフィには二つの役割がありました。一つは上で見たような調停の役割です。耕作地の領有権の割合のように一つのパイを分けるときには、神様の思し召しがとくに威力を発揮します。神託に従わないで我を張り、戦争が起こってしまったり、疫病が起きてしまえば、間違いなく呪われたポリスというレッテルが貼られ、繁栄は望めないでしょう。そうでなくても、人間はいろいろな病気にかかります。農作物も満足に収穫できない年もあるでしょう。そういうときにまた神託で、あのとき神託に従わなかったからだ、などと言われてしまえば、神託を破ることを主張した人々は間違いなく非難され、悪くすると処刑されてしまいます。神託はなるべく筋の通った解決策を暗示するように述べられていましたから、これに従わない理由はほとんどなかったことでしょう。

もう一つの役割は情報センターとしてのものです。ギリシャ世界は元より、ペルシャやイタリア、エジプトなどからも神託を受けに人々や国使が参拝に訪れます。かれらは神様相手ということで自分たちの置かれた立場を包み隠さず伝えます。それが膨大な情報として神官たちの元に蓄積されるのです。その情報を元に適切なアドバイスを与えるのがデルフィの神官たちの役目でした。ただし、このことを知っているのは、神官職についているごく少数の者のみです。

一般の人々は神託を信じ、頼り、畏れていました。それだけに神託が外れたりして、その権威が落ちたりしては大変。いつも曖昧な詩の形で伝えられていたのはそのためです。ペルシャ軍に攻められたアテナイがデルフィの神託で「木の城に拠って戦え」と告げられたとき、「木の城」の解釈を巡って国論が二つに割れ、最終的にはテミストクレスがそれを軍船のことと解してサラミスの勝利を得たのは有名な話です。

あと、笑えるのはソクラテスの話。かれはデルフィで「この世で一番の知者はソクラテス」という神託を受けて、この世で知者と言われる人々に徹底的に問いかけていきます。あれだけ合理的精神を称揚しておきながら、やはりデルフィの神託だけは思いきり気にしたのですね。ただ、それもむべなるかな、です。論理は前提や公理がなければ前に進んでいきません。種がなければ何も育たないのと同じです。つまり論理を超えたところに何か信じるものが必要ということです。ソクラテスは徳や知に信を置いていたようです。神託にも少々。ぼくは何に信を置いているのかしらん。そんなことを考えながら、大地のへそを後にしました。

 

<<おしまい>>

 

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